うさみ日記

東京都日野市からまいりました宇佐見直人です。ITとかマーケとかの話や、勉強した話なんかをするよ。

そろそろ浦沢さんの話をしておこう。

いろんなアルバイトの経験がある人の話を聞くと少しうらやましくなる。
コンビニとかファミレスとかファーストフードとか居酒屋とか、そういうベタなのを、やってもよかった。
ちゃんぽん屋と駐輪場を作るアルバイトと雛人形の配達のアルバイトの三つしかしたことがないから。


今日書くのはそんなアルバイト先だったちゃんぽん屋の店長、
浦沢さんの話。
うちの親と同い年くらいだから、当時40歳とすこしくらいのおじさん。
高校生当時、40歳というのはとてもおとなだった。
いまは60代だと思う。




浦沢さんと始めて会ったのは高校一年生の夏だった。
親友の清水君が、学校はバイト禁止だけど高校生になったしどっかでバイトしようぜ!ぜったいバレないよ!
と誘ってくれたのがきっかけだった。


清水君が南流山ジーンズショップマルカワ近くにある
「長崎ちゃんぽんグラバー亭」
でアルバイト募集の張り紙が出ているのを発見した。
まかないつくしここにしようぜ!
という話になり、始めての履歴書を書いた。
面接はほんの10分くらいで、二人とも受かった。


その時面接してくれたのが店長である浦沢さんだった。
165cmくらいで細身。
横わけでメガネでギョロ目の昭和のおじさん。


好奇心旺盛なニワトリみたいな印象。
腕には重い鍋を振れる筋肉。
いかにもな中華屋さんの白衣に白い帽子は、
志村けんがコントで着てるあれ。


店には4人がけのテーブルが5〜6卓と8席のカウンター。
店長の他にはツシマさんという料理人のおじさんと、
日によってバイトが1人か2人。
店長とツシマさんはとても仲が良かった。


料理の腕は確かで、
一定以上のおいしいものを何度でも作り続けるのがプロなんだな。
みたいなことを思った記憶がある。
ただし疲れてくると少し塩味が強くなる。


店のメニューはやけに豊富だった。
ちゃんぽんや皿うどん
醤油 塩 味噌 とんこつの四種のラーメン。各種トッピング。
チャーハンや、エビチリ、八宝菜みたいな一品料理定食メニュー。
ギョウザシュウマイ春巻きといった定番サイドメニューもあった。
お酒はキリンラガービールと菊正宗と焼酎。


一応埼玉に本店があって、
こっちは二号店だった。
店の横には小さなプレハブ小屋があって、そこでは大きな羽釜でとんこつスープがゆっくりゆっくり煮出されていた。
それとは別に鶏ガラスープがこれまた大きな寸胴鍋で煮出されていた。
手間も多かったけどその分美味しかった。
店長は休みの日でもとんこつの羽釜に火をいれたり、翌日のための準備をしたりしていた。


バイトを始めて2年目くらいにツシマさんが辞めることになって(田舎に帰るんだったと思う)。
引越しを手伝いに行った。
寂しかったけどツシマさんも店長もいつもの笑顔だった。
部屋で手伝いをして、その日は小遣いをもらって帰った。


店のお客はだんだん減った。
もともと「いつも渋滞する橋の手前」という場所が飲食店をやるには向いていなかった。
車通りは多くても、みんなさっさと素通りしたい場所だった。


ある冬にはお客さんがほとんどこない日があって、
店長とひたすら冬季オリンピックの中継を見ていた。
スポーツがたいして好きではないんだけど、その冬だけはオリンピックに異常に詳しくなった。
休日は朝から晩までバイトした。
行き帰りは自転車で、兄がくれたMDウォークマンで音楽を聴きながら通った。


仕事に慣れたある日、店長と清水君と三人でごはんを食べてカラオケに行ったことがあった。
それまでにも新人バイトが入った時や長く務めたバイトが辞める時にはごはんに行ったこともあったと思うけど。
その日のことだけなぜか覚えている。


店長は自分がバツイチである話や、
若い頃には洋食のレストランをやっていた、という話や、
本店の店長とツシマくんと三人で本場長崎でちゃんぽんの作り方を勉強したんだ、とか、
ほんとは子供が一人いて、君たちと同い年くらいなんだ、という話をしてくれた。
店長は高橋真梨子の桃色吐息を自分のキーで歌った。


ある日、店長が辞めることになった。
後任には埼玉の本店からクガさんとカネコさんというお兄ちゃん二人がやってきた。
たしか30前半と20代なかばで、
カネコく〜んお客さんこなさそうだからビールでも飲んじゃおっか〜とふざけつつ仕事をしていた。
その頃にはバイトを辞めていた清水君もたまに遊びにきて、二人と仲良くを話して帰って行ったりもした。
スポーツの話題やらなにやら、新聞や雑誌に書いてある一通りのことに詳しい人達だった。


その後また店長が変わった。
新店長が店一式を買い取ったそうだ。
お客さんは相変わらず少なくて、
新しい店長の奥さんや高校生の娘さんもよく手伝いにきていた。
そんな環境に慣れはじめた冬。
年末に
「来年もよろしくお願いします。」と言って店をあとにした。


年明けに給料をもらいに行って驚いた。
店は什器や皿だけ残してもぬけの殻だった。
焦った。


レジが残っていたから一応開けてみたけど、
もちろん1円も入っていなかった。


皿はあった。
でも皿をもらってもどうにもならないし、
レジもあるけど油でべったべた。
完全に取りっぱぐれた。


その前の月はそろそろ受験もあるから、とか言ってバイトを減らしていたんだけど、
それでも数万円分は働いていた。
本が読めて楽器が弾ければそれでいい高校生だったから、そんなに困らなかったけど。
とにかく驚いたし焦った。
高校三年生の寒い冬。


その後大学に行ったり就職したり転職したり結婚したりした。


何年か前に、
お店を出すために安いレジスターを探している人がいて、
あーあの時の持って帰っておけばあげられたのにな〜、と思った。


浦沢さんに会えるなら、もう一度会ってみたいなーと思う。
いまもおいしいものを作り続けていて欲しい。



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