うさみ日記

東京都日野市からまいりました宇佐見直人です。ITとかマーケとかの話や、勉強した話なんかをするよ。

そろそろヒザキのじいさん(仮名)の話をしておこう

そろそろヒザキのじいさんの話をしておこうと思う。


5年前に東京都日野市に家を買って引っ越した。
結婚するので新居として。


ヒザキのじいさんはうちから徒歩2分の戸建てに住んでいたじいさんで、
近所のみんなからそこそこ嫌われていた。

ヒザキのじいさん

引っ越した当時、
ヒザキのじいさんちにはじいさんとその妻と大学生と小学校高学年の二人の息子が住んでいた。
じいさんは不潔で、うそつきで、いらぬおせっかいを焼き続けるのを生き甲斐にしているような人だった。


老人なのに枯れた感じがしない、脂ぎったじいさんだった。
入れ歯をパカパカさせ、あぶらぎった髪の毛は伸ばしっぱなしにし、
オイリーとかじゃなくて、
換気扇にたまった油のようなねっとりベチョベチョ感。
じいさんのことを嫌った人の中には、
いわゆる「生理的に受け付けない」みたいな人も居たんじゃないかと思う。


じいさんは朝晩タバコをふかしながら近所を歩き回っては、
偶然居合わせた老若男女に話しかけていた。
じいさんの話はたぶん七割くらいウソで、
ある時は花屋のチェーンを持っていると言ったり、
ある時はどこそこの工場用地をオーナーが手放そうとしてるから買おうかと思ってると言ったりしていた。


じいさんとは言ってもたぶん60代後半くらいで、
おじさんとおじいさんの間くらいの見た目。
筋肉質な腕とふくれた腹に塩辛い表情の顔。
パカパカする入れ歯。


海の近くの古い小屋みたいな雰囲気の人だった。
朽ちかけて、薄暗くて、それなのに現役の生臭さがあった。
気さくに話しかけてくるのに威圧的やこちらの出方を伺うようななところもあって、怖いのだ。
西原理恵子のまんがに出てくるよくないじいさんみたいな感じ。


小学生の女の子のお尻をいやらしくさわったとかなんだとか、
今の世の中だと子を持つ親にとっては恐怖な事件があったりもした。


ある時はちいさなイワシを甘酢漬けにしたものを大量にくれた。
妙に甘く、何日かかけても食べきることができなかった。


ある夜、じいさんの下の息子が家のインターホンを鳴らし、
「お父さんが家に来ないかって言ってます」
と言われて家に行ったことが一度あった。


たしかおまえの家はいくらで買ったのかとか、
ボーナスはいったかとか、
生々しいことを聞かれた気がする。
チグハグな家具。離れて座る静かな家族。
話し続けるじいさん。
なぜかジョッキにつがれたペットボトルのサイダー。


じいさんはなんだかよくわからない宗教に入っていて、
日曜日は決まって家を留守にしていた。
近所の何人かは日曜日を平和な日だと感じていたと思う。


と、
ここまで悪いことを書き続けたが、
じいさんに助けてもらったこともある。


たしか初夏のある日、天気は暴風雨。
徒歩で駅に向かおうとしていたら、
ちょうどじいさんが軽トラックに乗って出てきたところで、
「のっていけよー!」と声をかけてくれた。
渡りに船とばかりに乗せてもらった。
なんて親切な人だろう。
本当にありがたかった。


僕自身じいさんが嫌いだったかというと、実はそんなでもなかった。
それよりも「じいさんを嫌う人々」が過剰反応し始めるのが怖かった。


たしかに話が長いのは面倒だったけど、
親切な人だった。
ただ、周りの人と感じ方のレベルや、親切のベクトルが合わなかったのだ。
あとは、もうちょい床屋に行って風呂にも入ればよかったんだと思う。


何年か前に、じいさんは亡くなった。
近所の話なのに僕も妻も知らなくて、
数か月後に別なじいさんからそのことを聞いた。
病気だったそうだ。


その頃じいさんの長男はすでに家を出ており、
じいさんの奥さんは新しい男の家に世話になることになったそうだ。
むかし呼びに来た次男はもう高校生になっていたはずだ。


じいさん、親切な人だったから、
自分の宗教の天国みたいなものがあれば行けてるんじゃないかと思う。
天国に行ったらもう人には親切にしなくてもいいんだぞ。



(さすがに故人に許可もなく文章にするのははばかられるので、ヒザキさんというのは仮名です。)



■この手の話だとこんなのも書いてました。
そろそろ浦沢さんの話をしておこう。 - うさみ日記
笹野くんの話をそろそろしておこう。 - うさみ日記
埼玉県の深谷市に住んでいた。 - うさみ日記
千葉県松戸市が好きだ。あるいは、介護職や葬儀屋さんの人を尊敬した。と言う話。 - うさみ日記