うさみ日記

東京都日野市からまいりました宇佐見直人です。ITとかマーケとかの話や、勉強した話なんかをするよ。

「伊集院光とらじおと」の2018年10月16日での三遊亭圓楽さんと伊集院光さんの会話がサイコーだった話。

ラジオ。聞いてます?
私は最近ちょいちょい聞いてます。


「JUNK 伊集院光深夜の馬鹿力」っていう番組が
月曜の深夜にあるんですね。
これをradikoのタイムフリー(過去の番組が聞けるやつ)で聞くんですけど、
その中で「今度師匠の三遊亭圓楽が朝の番組でゲストに来てくれることになって」
という話があって、聞いてみようと思ったんです。
伊集院光とらじおと」の2018年10月16日の回。

三遊亭圓楽さんと伊集院光さん

この二人って不思議な師弟関係なんですよね。
wikipediaの伊集院光さんのページ
にも書いてありますが、
落語家修行中にラジオで人気が出て、
三遊亭楽大としての活動をなくして伊集院光になっていく、
それを見守る師匠の圓楽さん。
という不思議な関係。

どんな内容の話をしてたのか、という話。

で、 「伊集院光とらじおと」の2018年10月16日のお話。
覚えてる範囲で書きます。




以下、メモった範囲での書き起こし
探せばyoutube等に音声があるかも、です。

・ガン治療で入院&手術して退院翌日に独演会と寄席、というタフさ
・おかしなことを口走ったら「病気のせい」と言っとけばいいから便利
・ブレスが途切れ途切れになるけど、それが元に戻るかそれが味になるか、流されていこうと思う
歌丸師匠に呼ばれたかと思った、でもあれは歌丸師匠が教えてくれたんだ
・からの、亡くなった名人の声真似で自分を褒めるって手は教えてなかったっけ?
 「今の落語界を変えることができるのは圓楽さんしかいない」と、歌丸、談志、先代圓楽(のものまねで)が大絶賛
・68歳で、がんにもなった人が、新年会で
 「もっと落語が上手くなりたい」といった話
・落語をやるたびにここはこうじゃなかったなって気づきがある、伸びしろがある、発想力はあるから稽古不足
・「この噺なら勝てるという噺」もあるけど、自分が評論家になったら志の輔喬太郎にかなわない
・かなうのは幸楽、三平、木久扇でしょ?あとー…
・落語家の師匠は「教える」というよりも「盗め」の世界だったはずだが、圓楽師匠は違った
・先代圓楽は擬音が多く「こごでぐーっとお客さんをつかんでグググググーっと」だけど、
 6代目圓楽は「この噺の3分の空白に若手は笑いを入れたがるけど、これは笑いに飢えさせるためのものだから、そこにギャグをいれてはいけない、とか、教えが授業みたいに具体的。
・先代圓楽から圓楽さんへの晩年の教えに
 「落語なんて世の中に必要ないものなんだ、悟られるんじゃねぇぞ」というのがあった。
 世の中に必要ないからこそ、技術を磨いて必要とされ続けることの大事さ
・スポーツの世界でも最近よくある話だけど、師匠からの教えを弟子は自分に弟子が出来た時に繰り返してしまうはず、なのになぜくりかえさなかったか。
 →師匠の教えが間違ってると思っていたからだ
 →下についてる方が楽じゃないですか、師匠の教えを100%信じたほうが楽じゃないですか
 →だって間違ってるんだもん
・落語を聞き始めるのはハードルが高いけど、ハードル高ければくぐっていって、いつか飛び越えられるようになったら飛び越えればいい

グッと来たポイントの解説

圓楽さんのポジティブっぷり

・おかしなことを口走ったら「病気のせい」と言っとけばいいから便利
・ブレスが途切れ途切れになるけど、それが元に戻るかそれが味になるか、流されていこうと思う
・68歳で、がんにもなった人が、新年会で「もっと落語が上手くなりたい」といった話
・落語をやるたびにここはこうじゃなかったなって気づきがある、伸びしろがある、発想力はあるから稽古不足
・「この噺なら勝てるという噺」もあるけど、自分が評論家になったら志の輔喬太郎にかなわない

「おかれた場所で咲きなさい」じゃないけども、
今の状況を楽しんで、でできる最大限のことをしましょう。
という教えにしか聞こえないんですよ。
くさるでも逃げるでもなく、
逆にその苦境を活かしたり、それを味と言ったり。
スバラシイ人生観だと思う。


そして68歳で「師匠」と呼ばれていても、
ちゃんと自己改善をしようとしてるあたり。
かっけーっす。

・からの、亡くなった名人の声真似で自分を褒めるって手は教えてなかったっけ?
 「今の落語界を変えることができるのは圓楽さんしかいない」と、歌丸、談志、先代圓楽(のものまねで)が大絶賛
・かなうのは幸楽、三平、木久扇でしょ?あとー…

腹黒感サイコー。
あとなんだっけ?
「あのラーメン屋」とかもたしか言ってたね。

・落語家の師匠は「教える」というよりも「盗め」の世界だったはずだが、圓楽師匠は違った
・先代圓楽は擬音が多く「こごでぐーっとお客さんをつかんでグググググーっと」だけど、
 6代目圓楽は「この噺の3分の空白に若手は笑いを入れたがるけど、これは笑いに飢えさせるためのものだから、そこにギャグをいれてはいけない、とか、教えが授業みたいに具体的。

「盗め」から「教える」そして「気づかせる」みたいな、
最近の教育に関する流れってあるじゃないっすか。
あるよね?
ティーチングとコーチングとか、
そんなことを思い出させる話でした。

・先代圓楽から圓楽さんへの晩年の教えに
 「落語なんて世の中に必要ないものなんだ、悟られるんじゃねぇぞ」というのがあった。
 世の中に必要ないからこそ、技術を磨いて必要とされ続けることの大事さ

これ、「コモディティ化」とか「飽食の時代」に通じるような話なんですよね。
世の中に必要ないものだとしても、
必要としてくれる人がいれば必要。


「お店で食べるラーメンがおいしくて当たり前の世の中で、
 ラーメンを作ることの意味とその寿命」
みたいなテーマって最近あるんですよ。
で落語はテレビもネットもある世の中でどう生きていくか、
というと、必要ないけどおもしろいから、聞きたいから生き残る。
そのためには全体としてレベルアップしなきゃいかんよね。
という話。


がんばる、ってあんまり好きな言葉じゃないけど、
がんばろうと思うよね。

・スポーツの世界でも最近よくある話だけど、師匠からの教えを弟子は自分に弟子が出来た時に繰り返してしまうはず、なのになぜくりかえさなかったか。
 →師匠の教えが間違ってると思っていたからだ
 →下についてる方が楽じゃないですか、師匠の教えを100%信じたほうが楽じゃないですか
 →だって間違ってるんだもん

違うものは違う、好きなものは好き。
でも「間違ってる」と思いながらもしっかり師匠についていった。
だから今がある。
もっと改善できる。


この話はわりと価値観かわっちゃうような話です。
「みんながこう言うからこうしよう」とか
「上司がこう言ってるからこうしよう」とか
「お客様の声がこうだからこうしよう」とかじゃなくて、
聞くけど、間違ってると思ったら「間違ってる」ってちゃんと判断すること。


話として理解はできるけど、
今までちゃんとこれをやってきてるか、
これから先ちゃんとこれをやれるか、
自問自答せねばなりますまい。


ああ、ほんとにいい回だったなー。

ラジオとわたくしの話

以下はわりとどうでもいい話ですが、
私は小中学生くらいの時けっこう好きで、
岸谷五朗東京レディオクラブ」とか「サンプラザ中野の今夜は熱帯夜」とか聞いてたんです。
他にもFMラジオを(兄と同室だったのに)夜中にかけてたりとか、
大学生のころは深夜に車の運転しつつ(埼玉の奥地だったので軽自動車を持っていた)
伊集院光日曜日の秘密基地」とか「JUNK 爆笑問題カーボーイ」とか聞いてたんです


で、最近いろんなポッドキャストを聞き始めたり(ラジオじゃないけど)、
radikoのおかげで、スマホでラジオが聞けるようになったので、
InterFMやら伊集院光さんの番組やら聞いております。


ラジオ。超楽しいから、みんなも聞こう。


あと、伊集院光さんの「のはなし」が超おもしろいので、
未読の方はぜひ。