袈裟、じゃなかった今朝、
電車で座れてうとうとして、新宿駅で乗り換えのために電車を降りて、
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」ってことわざって、
あれ、坊主、なにしちゃったの?と、ふと思った。
袈裟まで憎くなるほどの
乗り換えのために歩きながら考えるに、
袈裟って坊さんが着物の上に肩からかけてる服みたいなやつでしょ?
そんなもんまで憎いなんて、ぜったい女か金だな。と。
欲望と愛憎の果てだな、と。
最果てで待つ坊主の元へ、
袈裟に残ったかすかな匂いを頼りに。
引退した元警察犬を引き連れ、
妻と財産を、平和な時間を奪われた男が追い詰める。
この袈裟を、焼いてやろうか煮てやるか、八つ裂きにしてやるか、
再会したらどんな思いをさせてやろうか、と、血走った目の奥で想像し続ける男。
二年間追い続け、ついにある日の真夜中午前3時、僧侶の元にたどり着く。
男はすべてを語らせた。
元僧侶は自らの罪、二年間の逃避行、罪の意識から来る苦悩の全てを詳細に語った。
朝が来て、日が昇ってもまだまだ話し続けた。
話の最後に元僧侶は男に言う。
殺すなら殺せ、焼くなり煮るなり好きにしてくれ。
その時、頭上に昇った太陽を指さして男が言う。
「いや、坊主が憎いのは、今朝まで。」
うわ、超どうでもいい。
とか書いたけど
坊さんを憎いと思うと、その坊さんが着ている袈裟までが憎らしくなることから。
「袈裟」とは、僧侶が左肩から右脇下にかけてまとう布状の衣装のこと。
僧侶が「憎い」対象となっているのは、江戸時代の寺請制度が背景にあるとされている。
「寺請制度」とは江戸幕府が宗教統制の一環として設けた制度のことで、
僧侶を通じた民衆管理が法制化され、事実上の幕府の出先機関の役所となった。
そのため本来の宗教活動がおろそかとなり、また汚職の温床にもなったことから、
僧侶を憎む人々も多かったといわれる。
「坊主が憎ければ袈裟まで憎し」「法師が憎ければ袈裟まで憎し」ともいう。
http://kotowaza-allguide.com/ho/bouzunikukerya.html
というのがほんとのところらしいよー。
寺請制度。
そんなのあったのね〜。
ためになったね〜。
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