うさみ日記

東京都日野市からまいりました宇佐見直人です。ITとかマーケとかの話や、勉強した話なんかをするよ。

事実を記録として

初対面の記録

11月9日にこどもが産まれた。
おれとおれの奥さんのこども。


3,585グラム、男、予定日10日過ぎ、立ち会い出産、16:51。
髪の毛、爪、眉毛、まつ毛もしっかり生えた、五体満足な赤ちゃん。


その日おれは仕事を休んで、
自転車をこいで多摩川をこえて病院に行った。
一日ひたすら励まして励ました。
声をかけたりさすったりするくらいしか
できないことをもどかしく思った。


LDRという、
出産後もすこしゆっくりできる部屋を借りた。
手術室みたいな無機的な感じじゃなくて、
普通の部屋っぽかったのがよかった。
淡いオレンジ色のリノリウムの床、
全く使わないがミニキッチンと
小さなソファやテレビまであった。
外の陽の光が、
カーテン越しに入るのがよかった。


たくさんの助産師さんと
産科医さんに手伝ってもらった。
出産時は主要な助産師さんと
産科医さんだけでなく、
病院の多くの人が手伝いにきてくれていた。
そんな中で奥さんはとにかく頑張って
痛みと向き合っていた。


重病人が回復するには、
本人の生きる意思が強いことが大事、
という話を聞いたことがある。
出産については、
本人の産む意思と努力と
生まれる意思と努力が必要なのだ、
と感じた。
周りにいる人は手伝うことしかできなくて、
産む人と産まれる人の2人が
ひたすらがんばっていた。


おれは助産師さんの言うことを繰り返し、
「深呼吸だよ!ゆっくり!」とか、
「息止めて!腕引っ張って!がんばれ!」とか、
とにかく声をかけた。


奥さんが陣痛促進剤を使い始めて2日目の夕方に、我が子は産まれ
た。
取り上げられてすぐに泣き声をあげていた。
その時すこし涙がでた。

感動の話

人生で、一番感動した日だった。
人生経験がイマイチなせいかもしれないけど、
最も感動した。
事実。
感動。


過去の記憶を総動員しても、あの日以上の感動がないかもしれない。

じじばば

両家の両親にとって初孫。
産まれた翌日には病院に見にきたらしい。

名前は祥太

いろいろな名前を考えて
結局「祥太」という名前にした。
・フルネームでググって出てこない
IMEで出てくる
・S森祥太君と同じ名前。
そうなってくれと願う訳ではないのだけど
そんなんな大人になったら嬉しいと思う。
・苗字が三文字って難しいんです

そんな息子は

ぶりぶりとうんこして
がぶがぶとおっぱい飲んで
ときどき空を眺めて
主に寝ている。


大きく優しく育ってほしい。