うさみ日記

東京都日野市からまいりました宇佐見直人です。ITとかマーケとかの話や、勉強した話なんかをするよ。

笹野くんの話をそろそろしておこう。


笹野くんの話をそろそろしておこう。
いまだに自分の中で整理がついてない部分もあるけど、
なんとなくまとめておこうと思った。


笹野くんは静岡県出身で、大学の同級生だった。




大学在学中から、彼が曲や詞を作って伴奏の打ち込みをして歌を歌い、
僕がエレキギターを弾く、というユニットを組んでいた。
その2人組はたしか23か24歳くらいまで続いた。


まだちゃんと知り合う前、大学に入りたての頃、
よく一緒に行動する仲間内では彼のことを
「キラー」だか「ハンター」だかという名前でよんでいた。
映画に出てくる殺し屋みたいだったから。


殺し屋っぽかった。
しかも、格闘技とかライフル銃とかで殺す殺し屋じゃなくて、
「三本のナイフ」とか、「ワイヤーと電気」とかのよくわからない武器で殺す殺し屋っぽかった。
痩せて背が高くて、シャープで神経質そうで、どこか苛立っているような。
殺し屋組織のナンバーフォーくらいの雰囲気。
トップではない殺し屋。
笹野というよりササノって感じ。


もちろん実際は殺し屋なんかではなくて、
キン肉マンのモノマネがすこしうまいハタチくらいの男子だった。


1996年頃。
Windows95を使ってた頃。
僕の通っていた大学はなかなかの田舎にあって、学部は工学部しかなかった。
大学のまわりは畑と少しの民家。
秋には畑のまん中を貫く街道に秋桜の花が咲くのどかなまちだった。


そんな中、
ピタッとした黒のTシャツを着て、
長い黒のカーディガンを羽織り、
深い赤の細身のズボンをはいていた。
頭は金髪ボウズ。
黒いハットもよくかぶっていた。
肌は不健康に白くて、
顔色は深夜のコンビニ店員のように青ざめていた。
のどかな風景の対極にあるような見た目の男だった。


最初に話しかけられたのは、
英語かなにかの授業が終わったあとだったと思う。
自分は音楽をやっていて曲や詞を作る、
曲(確かカセットテープ)を聴いてもらってもしよければいっしょにやってほしい。
というような話だった。
四月、軽音楽部の新入部員勧誘かなにかの時に、
即興でなにかちゃら〜んと弾いたのを見かけて目を付けたらしかった。
当時ちゃんと活動するバンドが無かった僕は少し悩んで、数日後にオーケーした。


笹野くんとは毎週スタジオで練習して、
少なくとも月一回くらいのペースでライブハウスのステージに立った。
2人組で固定客も少ないので、出費ばかりがかさむ日々だった。
単純計算で4人組の倍の負担があるわけです。


彼は音楽で食っていこうとおもっていた。
僕は正直な話、なにかで食っていけて音楽もやれたらいいな、くらいに思っていた。


彼の作る曲や詞はとても良くできていた。
最近の流行りみたいな小難しさはないけれど、
わかりやすいメロディと自分の決意を形にしたみたいな歌詞が好きだった。
何人もの人が褒めてくれたけど、
笹野くんの曲や詞を一番高く評価していたのは僕だと思う。


長い大学生活が終わっても2人組の活動を続けた。
僕は社会人になった。
笹野くんはパチンコ屋や上野の洋服屋で店員をしながら、
暇を見つけては小さなメモに歌詞を書いていた。
それでも僕達はライブを続けていた。
お客さんは少し増えたがまだまだ赤字。
それでも僕達はライブを続けていた。
いつだか笹野くんは風邪をこじらせて肺炎になったりもした。
それでも僕達はライブを続けていた。
当時まだ高かったハードディスクレコーダーでレコーディングしたり、
近所の空き地のフェンスの前でかっこつけて写真を撮ったりもした。


ライブを続けられなくなったのは、
あるライブの数日前に笹野くんから電話があって、
今度のライブをキャンセルしたいと言われて、
そのあとまったく連絡が取れなくなったからだ。


翌月だか翌々月にライブハウスの人から電話があって、
ライブのキャンセル料金を支払ってくださいね。と言われた。
仕方がないので数日後に支払いに行った。
笹野くんはキャンセル料はかからないと言っていたので、
何かの勘違いか、手違いか、単純に騙されちゃったか、だ。
その日ライブハウスの人がビールを一杯おごってくれた。


こんな書き方をすると、
そんな10年も前のことをいまだにネチネチ引きずってるのかと思われそうだけど、
実際はそうでもない。
逃げた当初からあんまり怒ってはいない。ほんとに。ほんと。


ここ五年くらい会ってないライブハウスのスタッフさんや対バンの人にも
「2人組だったのにボーカルが逃げちゃったギタリスト」
として覚えてもらえてたりもするし。
いいネタになった。



その後少し経って、
mixi全盛のころ、たまたま笹野くんの彼女だった女の子がそこに居て、
その後笹野くんは静岡の実家に帰ったらしいと聞いた。


いつだったか一度笹野くんの携帯に電話をかけたが、
呼び出し音が2回鳴ったところで電話を切った。
もう携帯電話を変えていて他の人が出るかもしれないし、
もし万が一本人が出たとしてもなんの話をしたらいいかわからないし。


笹野くんがなぜ突然去ったのかは知らないけど、
たぶん疲れちゃったんだと思う。
いつまでも同じところをグルグル回ってるみたいな日々だったし。
相棒は日々のメシが食えて音楽もやれてればいいなんて、
やる気のないやつだったし。


今となってはいい経験だったのかも、と思う。
楽器の演奏やバンドのことだけしゃなくて、いろいろなことを学んだ。
そこから知り合いになれた人もいる。


もし今笹野くんがその辺にいたら、
なんて声をかけよう。
一言目に「おい金返せ」以外の気の利いたことを言えるように、
用意しておこうかと思う。